大将軍八神社は、平安建都の際に都城の方除守護神として大内裏の北西角(天門)の地に造営されたのが始まりとされ、当初は大将軍堂と称したが、江戸時代初期になって大将軍社として改められ、更に大将軍八神社となって現在に至る。大将軍とは、陰陽道にいう星神天大将軍で、方位を司る神である。このため、建築・移動・旅行などに関し、方除け、厄除けの神として世間の崇敬を集め、その時々の権力者達も当社を厚遇したといわれる。当社には、平安時代中期から鎌倉期にかけての大将軍信仰高潮期に奉製された「神像」百余体が所蔵されている。このうち、武装像、束帯像、童子像合わせて80体が1972年に重要文化財に指定された。いずれの像も、独特の表情、装束で異彩を放っており、興味深い。