水徳神高龗神を祀る旧官幣中社で、社名は古くは木船、貴布祢とも書かれたが、1871年以来「貴船神社」と改められた。
平安時代延喜の制には名神大社という最も高い格式に列し、日照りや長雨が続いたとき、また国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈念がこめられた。818年以来の歴朝の奉幣、祈願では、もっぱら祈雨、止雨の神として崇められ、祈雨には黒馬、祈晴には白馬又は赤馬が献ぜられるのが例であった。平安時代末期には賀茂別雷神社の摂社とされていたが、明治以降独立した。
かつて社殿は貴船川に沿って上がった所にある現在の奥宮の地にあったが、1055年現在地に移転された。本殿、拝殿、権殿から成り、本殿は1863年に改修された。また、境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には舟形石と呼ばれる船の形に積んだ石塁がある。和泉式部がお詣りし、不和となっていた夫と願いがかなって復縁した話は良く知られている。