この家は、藩医(西洋内科)で蘭学者であった青木周弼の旧宅である。1859年に建てられたものと考えられ当時の様子をよく残してる。青木周弼は大島郡和田村の医家に生まれ、藩主毛利敬親の侍医や医学館の館長を務めた。日本屈指の医師として全国的にもしられ、各地から集まった多くの弟子を育てた。また、村田蔵六が萩藩に出仕したときには、親代わりとなり世話をした。