次郎長生家は、静岡県清水港にある町家である。特に次郎長が産湯に使った井戸はそのまま残ってる。町家も当時の面影を残す風情溢れる建築であり、多くの次郎長関連の資料が展示してある。
次郎長は、弱気を助け強きをくじきとして侠客として義侠・任侠を貫いた漢として知られる。
1843年に喧嘩で人を切ると、弟分を引き連れて出奔し諸国を旅してまわり交際を広げた。このときの物語が「東海遊侠伝」として知られる。1868年には、旧幕府軍の合われな亡骸を新政府の圧力を突き返し丁重に埋葬した。この事で、山岡鉄舟や榎本武揚等とも友好を深めた。
ここ末廣では日露戦争で活躍した広瀬武夫や小笠原長生、画家の富岡鉄斉、広辞苑編者の新村出などが訪れ、次郎長と歓談したと伝えられる。明治の晩年、静岡に隠居した最後の将軍慶喜は連日清水港に訪れて投網などの興じた。その時に慶喜を守ったのが次郎長である。