白虎隊は、1868年に始まった戊辰戦争の際に16歳から17歳の会津の侍の子弟で構成された部隊。会津に攻め入る明治政府軍に対抗するために急遽設立された。
戊辰戦争で最も激しい戦闘が行われた場所の1つが会津で、特に新政府の憎悪の対象と成っていた会津で行われた為に、戊辰戦争の悲劇の1つとされる。会津への道のりの一部の守備を任された。
母成峠を通過した幕府軍は、すぐに若松城を包囲する。別の場所を守備していた白虎隊がここ飯沼山にたどり着いたときには政府軍の包囲厚く、入城することは適わなかった。そこで、無理に突入して無様な人質となるよりも武家として恥のない様にとの願いから全員がこの地で切腹を果たす。その内の一人、飯沼貞吉が生き残り後の世に白虎隊の物語を伝えることなる。
墓所の周囲には、飯沼貞吉の墓と切腹場所がある。切腹したとされる場所からは赤い瓦の若松城がよく見える。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)