天守:再建天守
城郭の種類:平山城
天守構造:5重6階 複合式層塔型
築城年:1622年
築城主:水野勝成
福山城は1622年に水野勝成によって築城された。近世城郭では最後に作られた城。5重の天守と7基の三重櫓を有する巨大な城であった。天守は太平洋戦争で焼失するまで現存した。建物では、現在も伏見櫓、筋鉄御門などが戦火を免れ現存する。
福山は福山城の築城によって形成された城下町である。1619年に、福島正則の改易により、水野勝成が備後の東部と備中の西部を合わせた地域を与えられ、新たに福山藩が誕生する。1622年と江戸時代に入り徳川体制が成立した中で築城が許された異例の巨大な近世城郭である。これは、勝成が家康の従兄弟である事と西日本の抑えとして重要であった為と考えられる。
天守は、5重5階の層塔型の城郭で1622年に作られた。太平洋戦争で焼失するまで現存した。最も新しく作られた城であり、高度な建築技術が施されている。特に、天守台は広島城や岡山城の半分程度の広さであるが、高さは両城よりも高い。天守の北側は防弾の鉄板が最上階以外に張られていた。これは現在の天守では復元されていない。その為に完全な外観復元天守では無いが、外観は良く復元されている。天守内は福山城博物館として福山の歴史と文化の資料が展示されている。
現存する櫓である、伏見櫓は秀吉が築城した伏見城から移築されたものである。天守を除けば、熊本の宇土櫓と並び現存する最古の櫓である。3重3階で慶長初期の建築様式の望楼型櫓である。筋鉄御門は伏見櫓と同じく現存する唯一の遺構。本丸の正門であり、伏見櫓と合わせて枡形の堅固な門と成っている。
遺構では石垣も当時のまま残る。石材は切込みハギと呼ばれる方形に整えられれ、布積ど呼ばれる方法で積み込まれている。水平基調とした方法で安定性が高く築城時から殆ど歪みも起きず現在も良好な状態で保存されている。
他、伏見城から移築されたとされる御湯殿も戦前まで現存し、現在再建されている。月見櫓なども再建されている。
オフィシャルホームページhttp://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/fukuyamajyo/
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)