岩瀬家のある五箇山は、幾重もの山に取り囲まれた谷間にあり、およそ800年前に源平の戦いに敗れた平家の落人が逃げ延びてきた場所であるとされる。岩瀬家は350年前に、8年のもの歳月を費やして建てられたもので、当時加賀藩の塩硝を取りまとめて納入する上煮役の藤井長右ェ門が天領白川郷へ、加賀百万石の威光をしめした。
岩瀬家の総体は、間口14.5m、奥行12.7m、高さ14.4mある。24畳数の出居の敷板には全て欅材が使われている。もちろん釘などは一切使われず、縄とねそでで結び上げて作られている。
合掌造りは手を合わせたような急勾配の屋根の形が特徴で、豪雪地帯のこの地で雪を落としやすくし、屋内を幾階にもうけて活用する為である。岩瀬家は準5階立てで、3階から5階は養蚕の作業場となっていた。
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