八幡原は、武田信玄が第四次川中島の戦いで陣を置いた場所とされる。現在も柵や空堀や土塁の跡が残る。最も激しい戦闘が行われた場所はこの場所より2キロ西方で行われ、山本勘助、武田信繁などが命をかけて信玄を守った壮絶な戦場であった。園内には多くの戦いの遺跡がある。
執念の石
信玄と謙信の一騎打ちの最中、主君を救おうと原大隅が信玄の槍で謙信をめがけて一突きするも外されてそのまま謙信は退却してしまう。信玄は九死に一生を得たが、原大隅は謙信を取り逃がしたとして無念の思いで蕎麦にあった石に槍を突き通した。その石が今も執念の石として残る。
逆槐
信玄がこの地に、陣を強いた際に防柵として植えた木が生長して400年かけて巨木に成長したと伝えられる樹木。
三太刀七太刀之跡
謙信と信玄の一騎打ちがあったとされる場所。謙信は馬上より信玄をめがけて三太刀浴びせた。信玄は軍配で謙信の攻撃を受ける。後で調べると、軍配には7カ所の刀傷があったと伝えられる。
首塚
戦いの後、武田信玄が6千余人の戦死者を手厚く葬った塚である。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)