半六庭園は、旧中埜半六邸の庭を改修して整備したもの。中埜半六家は、古くからこの地方屈指の大地主のひとつであり、海運と醸造業など手広く商う豪商であった。この庭園の東を流れる半田運河は、古くは阿久比の河口をなしており、元禄年間から中国酒と呼ばれた当地の酒や酢などの醸造品を盛んに江戸へ船積みしていた。安政年間に、現在のような半田運河が整備されてから、更に隆盛を極め、近世以降の半田の発展の原動力となった。
現在に残る屋敷と庭は明治期の物で回遊式の日本庭園の泉水は佳椅子を引き込み塩の干満によって水面が上下したと言われる。