天守:非現存、無し
城郭の種類:平山城
天守構造:5重5階地下1階 連立式層塔型
築城年:1457年
築城主:太田道灌
皇居東御苑は、宮内庁が管轄する公開された皇居で、四季折々の花が楽しめる庭園である。東京都千代田の中心にあり、東京の中央に位置しながら、静かな庭園と史跡に囲まれた空間である。
江戸城の城趾の一部で、本丸、二の丸、三の丸にあたる。現在も遺構多くその状態も良いので、国の特別史跡に指定されている。
江戸城は1457年に太田道灌によって築城された。この時は、「子城(本丸)」「中城」「外城」の3重構造で、周囲を切岸や水堀が巡らされていた。現在の本丸に当たる。その後、北条氏の支城となるが、1590年北条氏没落後関東に移封された、徳川家康によって、二の丸、三の丸が増築された。現在の東御苑の原型の構造はこの時に完成する。
1600年の関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍となって江戸幕府を開いた家康は、1603年に天下普請をはっし、全国の大名から城の石垣を運送させた。その後も、西の丸、北の丸の増築などを行い続け、三代将軍家光の代1660年に完成する。ただし、1657年に天守焼失した本丸は再建されることは無かった。
明治維新後、明治政府の管轄となり、その後皇居となる。
東御苑を構成する、本丸、二の丸、三の丸には多くの遺構が残り、また日本庭園として様々な建物が再建されている。
本丸には、天守台や現存する3基の櫓の1つ富士見櫓があり、本丸御殿跡は解放された芝生と成っている。その昔は幕府の中心、将軍の居住区、政庁、大奥などがあった。
二の丸は、現在は雑木林と成っているほか、菖蒲園などの花園があり、花の名所として知られる日本庭園と成っている。
三の丸は、復元された枡形門の傑作の大手門、本丸へと続く大番所、百人番所などがある。また復元された門では、来たの平河門や北桔梗門があり、当時の面影を良く残す。
本丸を囲む石垣は見事であり、本丸と二の丸の間にある白鳥濠は圧巻である。
オフィシャルホームページhttp://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)