天守:非現存
城郭の種類:平山城
天守構造:不明
築城年:室町中期
築城主:二本松満泰
二本松城は、標高345mの白旗が峰の上に築かれた平山城。この地方は、代々畠山氏によって支配されていたが、戦国時代1585年伊達政宗によって攻略される。この時、二本松義継は正宗の父を人質に取ることで和睦を試みたが、正宗は父輝宗ごと射殺されてしまう。1586年には、正宗に征圧されその支配下に入る。1591年に、正宗が岩出山城に移封となると、二本松城は、会津に移封となった蒲生氏郷の支城の一つとなる。
関ヶ原の戦いの後、1643年に丹羽長秀の孫で光重が入城する。二本松藩が成立すると、丹羽氏が明治維新まで統治する事となる。
1868年、戊辰戦争の際は奥羽越列藩同盟に参加するが、新政府軍に滅ぼされてしまう。その際、二本松少年隊の悲劇は会津の白虎隊と同じ物語で、この戦いに参加した少年がこの城の防衛非業の死を遂げた。
現在は、桜の名所として知られ、城内に4500本のサクラが咲き乱れる。
本丸の石垣や堀などが残るほか、大手門が再建されている。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)