宗派:臨済宗建仁寺派
寺格:大本山、京都五山三位
開基:源頼家、栄西(開山)
創建:1202年
正式名称:東山 建仁禅寺
建仁禅寺は、1202年鎌倉将軍二代目源頼家が寺領を寄進し、栄西禅師を開山として創建された。創建当時は、天台・密教・禅の三宗兼学の道場であった。1265年、宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆が入寺し禅寺として、禅の作法、規矩が幻覚に行われる禅の道場となる。
室町時代には幕府より、京都五山の第三位として繁栄するが、戦国時代の突入により一時荒廃する。その後、豊臣秀吉の天下統一と秀吉の信頼篤い安国寺恵瓊が、方丈や仏殿を移築し、復興が始まり、徳川幕府からも保護篤く、堂塔が再建される。
栄西禅師
13歳で比叡山延暦寺に登り翌年得度、天台・密教を修行し、宋(当時の中国)に禅を修行しに28歳と47歳に2度の渡宋を果たす。2度目の渡宋にて天台山に登り、万年寺の住持虚庵懐敞のもとで臨済宗黄龍派の禅を5年に亘り修行、その法を受け継いで1191年に帰国、禅の普及に努めた。1200年に将軍頼家に鎌倉に招かれ、寿福寺が建立、住持に請ぜられる。そして1202年に、建仁寺の宗兼を果たし、1215年75才建仁寺にて示寂された。
また、栄西禅師は在宋中に茶を学び、その効用と作法を研究し、茶種を持ち帰り栽培し「喫茶養生記」を著すなどして普及と奨励に勤め、日本の茶祖としても尊崇されている。
風神雷神図 国宝
屋宗達筆で、金地の二曲一双屏風のそれぞれに風神と雷神を描く、日本で最も有名な風神雷神の絵である。
法堂
1765年に建立された仏殿兼用の「拈華堂」。堂々とした禅宗様仏殿建築。正面須弥壇には本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られてる。また、天井には2002年創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆の双龍が描かれている。
方丈
1599年、安国寺恵瓊が安芸の安国寺から移築したもので、優美な銅板葺の屋根が印象的な禅宗方丈建築。また前庭に枯山水様式の「大雄苑」を有する。
潮音庭
本坊にある中庭。中央に「三尊石」その東に「座禅石」廻りに紅葉を配置した禅庭である。三尊は、釈尊と二人の禅僧をあらわす。「四面正面」の中庭で、南北の建物と東西の廊下のどの位置から見ても正面と捉えることができる。
オフィシャルホームページhttp://www.kenninji.jp/index.php
(参照:オフィシャル情報)