種類:日本三名園 大名庭園 回遊式日本庭園 梅林
兼六園の築庭は、城に面する傾斜地の部分から始まった。1676年、5代藩主・綱紀が、城外に別荘を建て、その周りを庭園化したのが作庭の始期だと言われている。一般的には「蓮池庭(れんちてい)」と呼ばれているが、築庭された頃の呼称は「蓮池の上御露地」と呼ばれ、来藩した客人や重臣たちの接待、あるいは観楓などの宴を楽しむ清遊の場として、大いに活用されていた。
歴代藩主は、一貫した思想を持ちながらも個々人の個性を活かして庭園を改築し続けた。
その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配する。
六勝とは、「宏大」「幽邃」「人力」「蒼古」「水泉」「眺望」のこと。宋の時代の書物『洛陽名園記』には、「洛人云う園圃の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」という記述がある。
その伝えるところは、以下の通りです。「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と結ぶのです。
すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。兼六園は、この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年(1822)、奥州白河藩主・松平定信によってその名を与えられた。
オフィシャルホームページ http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/index.html
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)