応仁の乱に諸堂が戦火に巻き込まれ焼失するが、本堂、唐門は30年後には三条西実隆によって再建される。唐門の「小倉山」は後柏原天皇勅額、本堂の「二尊院」は後奈良天皇勅額である。
明治維新まで、天皇名代として勅使参詣があり皇室からも崇敬された寺院である。現在も「二条家」「鷹司家」「三条家」「四条家」「三条西家」「角倉家」などの名家の菩提寺でもある。
総門は伏見城の「薬医門」を1613年に移築した建物である。
参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ京都を代表する紅葉の名所として知られる。山中には「時雨亭跡」は藤原定家が百人一首を選定した場所として名高く、「御薗亭」は後水尾天皇第五皇女、賀子内親王御化粧の間を1697年に下賜され移築したと伝えられる。