天守:復元
城郭の種類:平山城
天守構造:3重6階地下一階 連結式望楼型(非現存、1600年築)
築城年:15世紀中頃
築城主:出田秀信
熊本城は、日本三名城の1つ。古くは、15世紀中頃に築城された隈本城、千葉城に始まる。現在の城郭は安土桃山時代から江戸時代初期に加藤清正によって築城された。同時代の最高の築城技術を駆使して建てられた城である。特に石垣は「武者返し」と呼ばれる構造で緩やかな勾配が上部に行くに従って急になり、最終的には垂直になる高度な技術で造られている。縄張りは、南部は堅固に造られ、その代わりに北部は手薄な構造と成っている。この構造は、江戸幕府の仮想的である、薩摩藩に対する備えとして築城されている。
天守は、連結式望楼型で、3重6階の大天守と、3重4階の小天守が渡櫓で連結している造りとなっている。大天守を「一の天守」、小天守を「二の天守」とも呼ばれる。天守は「張出造」と呼ばれる天守台を突き出すよな様式で、張り出し部分には石落としが設けられている。また突き出た円柱の柱は「忍び返し」と呼ばれる防衛設備である。
熊本城には、五階櫓と呼ばれる、3重5階の3重櫓が天守以外に6基存在した。その1つ、宇土櫓は現存する。高さ19mの櫓で、一部現存する天守よりも規模は大きい。また、他の櫓、裏五階櫓、数寄屋丸五階櫓、飯田丸五階櫓、西竹之丸脇五階櫓、本丸東五階櫓の内、飯田丸五階櫓が復元されている。また、規模は小さいが、東竹之丸の櫓群が遺構として現存する。
復元された五階櫓のある飯田丸では大迫力の城郭の石垣を望むことが出来る。また、南側の濠の前に備えられた長塀は長さ242mと現存する城郭の塀で一番長い。
オフィシャルホームページ http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)