斉藤家は江戸時代末期、奥州道中渋民宿駅の南側に建てられた町屋。建物構造は、木造一部二階建ての妻入り直屋で、屋根は兜形に軒先を切り落とした寄せ棟となっている。建物規模は、間口6.6m、奥行き18mと細長く一階の片側に表から裏に抜ける幅1.9mの通り土間を設けている。
部屋の配置は、表側から床の間のついた座敷、常居、納戸、台所、一番奥には馬屋があり、表側二階部分には10畳の板の間を設け、表側に張り出した縁は格子戸をはずして使っていた。
1906年3月から1年間、石川啄木が渋民尋常小学校代用教員時代に家族と共に間借りしていたことでも知られる。