天守:外観復元天守
城郭の種類:平城
天守構造:5重5階地下1階 連結式層塔型
築城年:1609年
築城主:徳川家康
名古屋城は、信長誕生の城として知られる、天下の巨城で、日本三名城に数えられる。金の鯱を兼ね備えた天守は名古屋のシンボルとして親しまれている。
起源は、16世紀前半に今川氏親が、尾張進出の為に築いた城が始まりとされる。1532年に、信長の父信秀が、攻め落とし、一時期居住し、那古屋城と改名する。信長は後この城で生まれたとされ、古渡城に信秀が移り、信長は城主となる。その後、1555年に信長が清洲城に移った為に廃城とされた。
関ヶ原の戦いの後、徳川家康は九男義直に尾張を与え、尾張藩の居城として名古屋城を築く。1610年に築城が開始され、1612年に天守が完成する。
明治維新後も姫路城と共に城郭が完全な形で保存され、太平洋戦争まで天守御殿共に現存したが、空襲によって遺構の殆どは焼失した。
現在は、名城公園として再建された天守や戦火を免れた3つの櫓と3つの門の他、二の丸庭園、石垣、堀が現存する。現在本丸後に、本丸御殿の復元作業が行われている。
天守は、本丸の北西の墨に位置する。連結式層塔型で、5層5階地下1階の大天守に2層2階の小天守が渡櫓で連結している。大天守の高さは、天守台を含めて、55.6mと高層ビルに匹敵する高さである。
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