天守:無し
城郭の種類:平山城
天守構造:無し
築城年:1440年ごろ
築城主:護佐丸盛春
中城城址は、かつて貿易が行われていた屋宜の港から2キロ離れた標高約160mの丘陵の上にある。東崖縁を天然の要害とした城郭で、戦火をのがれ保存状態の良い城で知られる。
連郭式の平山城で、六つの郭で構成されている。城壁には、琉球石灰岩の切石で詰まれており、自然の岩石と地形的条件を活かした美しい曲線で構成されている。その築城技術の高さは、1853年に訪れたペリー提督も絶賛したほどである。
そのままの石を積み上げた野面積み、豆腐のように切り落とした布積み、そして様々な形の岩を組み合わせたあいかた積み(亀甲乱れ積み)の三種類の石積みが見られる。
始は明らかではないが、14世紀後半頃迄に先中城按司(さちなかぐずくあじ)が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味城から移ってきた護佐丸盛春によって、三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したと考えられる。
2000年に琉球王国のグスク及び関連遺産群の一つとして世界遺産に登録されている。他、日本の史跡、日本百名城にも選ばれている。