開基:真応上人
創建:(伝)704年(慶雲元年)
正式名称:成相山成相寺
成相寺は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めていた。
704年に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩。
境内には悲話を伝える「撞かずの鐘」、奇怪な話の「底なし池」、左甚五郎作の「真向の龍」などがあり、しゃくなげの名所でもある。
西国札所最北端に位置し28番目の礼所、冬は雪が深くなりますが成相寺から見る雪の天橋立も格別です。
由来
一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となった。死を予感した僧は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈ると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に傷ついた鹿が倒れているのに気付く。僧として肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べてしまう。やがて雪も消え、里人達が登って来て堂内を見ると、本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていた。 それを知らされた僧は観音様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになった。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けた。
成相寺山門
守護法神として安置されている仁王像は、法量2.80cmの隆々たる筋肉、骨格の堂々たる韋丈夫の姿には誰しも感嘆せざるを得ないであろう。正面南向の立姿でありながら顔面を斜めにして、山門中央の通路に厳しい視線を投げつける。参拝者の視線と仁王像の視線が合致する一瞬、何らかの緊張感を与える、誠に守護法神にふさわしい出来である。
本道
1774年建立。古式に則り、五間四方の入母屋造。
鐘楼
江戸時代建立。
鉄湯船
1290年鋳造。山河貞清作。