天守:復興天守
城郭の種類:平山城
天守構造:3重4階 複合式塔型
築城年:1417年
築城主:大森頼春
小田原城は、難攻不落の天下無双の城として戦国時代その名を馳せた。戦国時代、相模から発足し関東を制覇した後北条氏の居城で、三代当主北条氏康の時代は無敵の強さを誇り、しばしば上杉謙信や武田信玄と言った戦国時代の英雄達の猛攻にも耐え抜いた。戦国末期、豊臣秀吉の小田原城攻めでは街全体を城郭で取り囲み、総延長9キロの土塁と空堀で囲んだ当時世界最大の城となった時期がある。難攻不落を誇った小田原城も22万の大群に包囲され、関東中にある北条氏の支城も次々と落とされ、ついに開城する。
小田原城包囲の際に秀吉が築城した石垣一夜城が小田原城から見ることが出来る。
小田原北条氏没落後は、大久保氏が城主となる。その後、政局の変化で城主が様々に変わるが、最終的に又大久保氏によって治められる。天守は、1703年に地震によって崩壊した後、1706年に再建された。その後、明治時代に解体されるまで存続した。現在の天守は、1960年に再建され内部は北条氏の郷土資料館になっている。遺構には、石垣、土塁、濠などが揚げられる。
城郭の構造は関東の城としては珍しく、主要部分の全てに石垣が使われている総石垣造りの城である。現在の、縄張りは1632年の大改修に曲輪が再編されて造られた構造である。
オフィシャルホームページhttp://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/Leisure/playing/Castle/tennsyukaku.html
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)