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岡山城
烏城と呼ばれる黒塗りの見事な城は岡山のシンボルで、後楽園から見る岡山城は岡山を代表する景観である。天守は太平洋戦争の空襲で焼失してしまうが、外観はほぼ当時と同じ姿で復元されている。月見櫓、西之丸西手櫓は戦火を免れ現存する。戦国時代に、備前、備中を治めた宇喜多直家が本拠地として城郭が構成された城で、城趾は国の史跡に指定されている。
吉備津彦神社
備前国一ノ宮として、日本で最も古い神社の一つ。大吉備津彦命を祀る。大吉備津彦命は神代山陽道を平定した皇子の将軍で、桃太郎のモデルと成った神話の人物である。大吉備津彦命は、吉備国を平定し統治した。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが始まりである。静かな社殿に確かな歴史を感じる神社である。秋季例大祭には流鏑馬が披露される。
吉備津神社
山陽道の歴史的神社の一つで、桃太郎伝説所縁の神社でもある。主祭神の大吉備津彦命は、神代山陽道を平定した皇子の将軍で、桃太郎のモデルと成った神話の人物である。足利義満が造営したとされる比翼入母屋造の社殿拝殿は一体となった独特の「吉備津造」で国宝に指定されている。その他三棟が国の重要文化財に指定されている。戦国時代建立の廻廊は、総延長約360mで岡山を代表する回廊である。
鬼ノ城
7世紀頃に築城された。鬼ヶ島のモデルとなった山城で、伝説では吉備国に来た、百済の王子・温羅によって築城されたと伝えられる。温羅は、吉備国を征圧し、山城を築き略奪や婦女子を掠奪したので、人々は恐れて鬼ノ城と恐れた。人々は朝廷に温羅の討伐を依頼し、吉備津彦命が派遣される。吉備津彦は温羅を退治し、吉備国を平定する。この物語が桃太郎のモデルとなったと言われている。
温羅退治
桃太郎の話のもとと云われる温羅退治が、吉備津神社に伝わっている。それは、「その昔吉備国には、百済の皇子で温羅(うら)と言う者が人々を苦しめていた。温羅は巨大で力も強く、性格は荒々しく凶悪であった。温羅は新山に城を築き、都へ向かう船や婦女子を襲っていた。その為、人々温羅の住む城を鬼の城として恐れおののいていた。そこで朝廷は武勇んお誉れ高い五十狭芹彦命が派遣された。大軍を率いて吉備国に入り、中山に陣を敷き、片岡山に砦を築き戦いの準備を整えた。ついに決戦に及ぶが、命の放つ矢が温羅の投げる石に悉く打ち落とされしまった。考慮の末、命は一度に2本の矢を放つ強弓を用意し、同時に二本の矢を放つと、一つの矢は打ち落とされ海に落ちたが、もう一つの矢は見事に温羅
の左目に突き刺さった。温羅は驚愕し雉に姿を変え山中に逃げたが、命は鷹となって追いかける。温羅は命に捕まりそうになると、今度は鯉に姿を変え、自分の左目から迸った血で川となった血吸川に逃げ込んだが、命は鵜に変化し血吸川を逃げる温羅をついに捕らえる。捕まった温羅は命に降参し、吉備冠者を命に献上した。これ以降命は吉備津彦命と呼ばれるようになる。」とある。近くには、命が放った矢と温羅が投げた岩が空中で衝突し落ちた処には矢喰宮があり、その脇には血吸川が流れ、血吸川を鯉となって逃げる温羅を噛み上げたところには鯉喰神社が現存する。また鬼の城など鬼退治の神話にまつわる遺跡や神社が多くあり、桃太郎伝説の足跡をたどることが出来る。