天守:模擬天守
城郭の種類:平城
天守構造:3重3階 層塔型
築城年:15世紀後半
築城主:成田氏
忍城は、1478年頃に、成田正等によって築城された城である。その後も、1553年に北条氏康、1574年に上杉謙信と戦国時代の歴戦の猛将に攻め込まれるも撃退している。
1590年に、小田原に攻め込んだ豊臣秀吉の関東平定の際は、石田三成に攻め込まれる。三成は丸墓山古墳に陣を敷き、利根川を使った水攻めを考案、総延長28キロに及ぶ石田堤を造り、忍城を水で攻めた。しかし、ついに落城する事なく先に小田原城が落城したために開城した。この時の水に浮かぶ様子から「忍の浮き城」との名前が付いた。
江戸時代にも、忍藩として10万石の政庁となり、中山道沿いの城下町として大いに栄えた。現在も、堀、土塁などが残り、3階の模擬天守が再建されている。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)