楽山園は、江戸時代初期に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園である。池泉回遊式の借景庭園で、「戦国武将庭園」から「大名庭園」へと移行する過渡期の庭園と位置づけられ、京都の桂離宮と同じ特色がある。
「景石」の置かれた池を中心として、「中島」や「築山」を築いて起伏のある地形を造り出し、「梅の茶屋」や全国的にも珍しい五角形の形状をした「腰掛茶屋」など複数の茶屋を配し、それらを巡る園路にも工夫を凝らしている。借景庭園としても秀逸で、庭園の西側にある雄川を挟んで紅葉山、南方の連石山、熊倉などの山並を借景として取り込み、豊かな広がりを演出している空間構成は、「庭園美」の極みといえる。さらに、複数の茶屋をはいしていることから、「織田氏と茶事」との関連も深くうかがうことが出来、歴史的・文化的にも高い価値がある庭園である。
楽山園という名前の由来は「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」という論語の故事から名付けられたと言われる。群馬県に唯一存在する大名庭園で、国の名勝に指定されている。