種類:歴史観光 俳句 松尾芭蕉
落柿舎は京都市嵯峨野にある、俳句のための日本庭園と伝統家屋。松尾芭蕉の門弟で俳人・向井去来の遺跡である。去来は1687年には落柿舎を営んでいた。芭蕉は1689年に初めて訪れて以来、3回来庵している。1691年に訪れた芭蕉はこの地で「嵯峨日記」を書き上げている。現在の落柿舎は1770年に井上重厚が再建したものである。園内には、俳句の季語になる四季折々の花が植えられており、定期的に句会が開かれる。
「柿主や梢はちかきあらし山」去来
落柿舎の名前の由来でもある。ある日荒らしが庭に実っていた柿を一晩で落としてしまった。その時に、今までに見る事が出来なかった見事な嵐山を望む事が出来た時に詠んだ俳句である。1772年に井上重厚が建立した洛中一古い句碑に刻まれている。
「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」芭蕉
嵯峨日記の最尾に記された句。
他にも芭蕉が逗留した際に、定めた制礼があり、「雑魚寝をする時は、寝相良く、鼾をかかない事」や「煙草を嫌がるな」などユーモア溢れるルールが記されている。よほど、門弟のいびきがうるさかったのであろうか。
落柿舎には最近建てられた建物が在る。間取りは、1770年に建てられた物と同じで、句会などに利用されている。