城郭の種類:平城
天守構造:4重(非現存)
築城年:1602年
築城主:鍋島直茂・勝茂
佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。
1573年~91年にかけて龍造寺氏が村中城を拡張、整備した事に始まる。1611年に鍋島勝茂によって現在の基本となる城が完成する。その後幾度の火災による焼失を経て、1838年鍋島直正が再建する。現在の遺構は城門と移築された御座間が現存する遺構で、本丸御殿が絵図や写真を元に忠実に再現されている。体験出来る城で知られ、特に320畳の大広間は圧巻である。
幕末の佐賀は早くから西洋に目を向けて、日本の近代化の礎を築いた。絵図や模型によってその時代の息吹を紹介している。その他、様々な資料が展示されている。
鯱の門
1838年当時の姿を残す。国の重要文化財に指定されており、佐賀の乱の銃弾跡も刻まれている。
天守台
1726年に焼失し、以後再建はされていない。
南西隅櫓台
切石による「亀甲乱積」と言う手法で積まれた石垣。
御座間
現存する建物の一つ。
外御書院
一乃間・二乃間・三乃間・四乃間と廊下をあわせると320畳の大広間。この場所では、幕府からの贈答品やお世継ぎのお披露目など、佐賀藩の公式行事が行われていた。1838年に本丸完成披露の時には、千人の家臣が集まった。
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