築城年:803年 坂上田村麻呂によって
状態:城址
志波城は、奈良~飛鳥時代に北東北に住む人々は蝦夷と呼ばれ、天皇を中心とした政府の統治外にあった。政府は積極的に勢力を拡大し、東北北部をも統治経営するために、行政と軍事の拠点である「城柵」を造営した。
志波城は、803年に桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂によって造営された。陸奥国に十数か所作られた城柵のうち最も北に位置し、規模は多賀城にも匹敵する。
軍事と行政
志波城の外郭は、一辺928mの外大溝、一辺840mの土を突き固めた土塀・築地塀で正方形に囲まれ、築地塀の各辺の中央には門、約60m間隔で櫓が建っていた。城内中央やや南寄りには150m四方を築地塀で囲んだ行政や蝦夷をもてなす餐給と呼ばれる儀式などが行われた「政庁」があり、大路で外郭と結ばれていた。政庁の周囲には行政実務を行った「官衛建物」、外郭沿いには兵舎である「竪穴式建物」が1200~2000棟建ち並んでいた。
復元された建物
正門となる外郭南門は、桁行15m、高さ11m五間一戸の櫓門で、復元された古代の門としては、ならの平城京跡朱雀門に次ぐ大規模なものである。その両側には土を固く突き固めて積み上げた築地塀と櫓が設けられている。外郭築地塀は高さ4.5m、全長252m復元されている。
政庁には政庁南門、東西門、高さ3.5mの築地塀を復元している。
案内所ではガイダンス施設があり、志波城の歴史を分かり易く学べるほか様々な出土品が展示してある。