種類: 岩窟 毘沙門堂
平泉中心から南西に6キロほど、太田川、北岸に東西150m、最大標高差35mの岸壁があり、そこに掘られた洞窟が達谷窟である。窟の前面には懸崖造の毘沙門堂があり、南面には中島を伴う池が配置されている。西側の岸壁には阿弥陀如来の磨崖仏が彫られている。吾妻鏡によると1189年に源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼして鎌倉へ帰還のおり、ここに立ち寄り別当寺の達谷西光寺の寺領を安堵したと記されている。
これ以降、「田村三代記」などの中世文学や芸能の他、日本中の社寺縁起にこの窟の名が記されており、古来奥州でもっとも著名な窟であり、窟毘沙門堂の岩窟に堂宇を構える窟堂としては、日本一を誇る規模の大堂である。大将軍は神であり、その本地を毘沙門天と見做す田村信仰発祥の霊場として、貴賎の尊崇を集めてきた。
平泉の仏教信仰の実態を理解する上でも重要な遺跡として国の史跡に指定されている。