内田佐七家は、内海を代表する廻船主として活躍した。初代内田佐七は、1818年に124石積の船から事業を開始し、幕末期には10艘近くの船を所有するほどの大船主に成長した。2代目内田佐七によって1869年に建てられた内田佐七家の家屋は、主屋・座敷・いんきょ・新納屋及び複数の小屋と蔵から構成されている。太平洋側に現存する廻船船主の家屋の中でも大規模なもので、部分的にではあるが当時の船の船材が残っている。
主屋
南北3室、東西2列の六間取むつまどりを基本とした造りとなっており、中央奥の部屋が仏間と神屋に分かれているのが特徴。広く作られた神屋には金刀比羅宮(航海安全)をはじめとした神が祀られており、廻船主の信仰の深さがあらわれている。「にわ」と呼ばれる土間にはかまどや井戸が設けられ、炊事や仕事場として使われていました。上方には太い梁を組んだ豪快な小屋組が見えており、かまどの煙を外に出したり、明かりを取るための窓が設けられている。
座敷
座敷は「上の間」「次の間」が東西に並び、その南北に広縁があり、南東隅には露台、北西隅には「茶の間」、北東隅には「奥のこま」と雪隠が続く。最も格式の高い建物で、内海船の船主の組合「戎講」の寄り合いや、冠婚葬祭などの特別な場合に使用された。「上の間」には、床の間・床脇・付書院からなる座敷飾りが設けられ、床脇には琵琶を飾る琵琶床がある。天井板や欄間には屋久杉が使用されている。
庭園
この屋敷には座敷「上の間」「次の間」の南側にある主庭、および北側の「茶の間」に面する小庭と主屋の前庭、合計で3つの庭が備えられている。主庭は張り出した露台を中心に構成されており、端正な手水と石灯籠とが主景を成している。津藩の藤堂家から贈られた鞍馬石と神奈川県で産出する根府川石をはじめとした大振りの庭石の力強さも特徴である。対照的に「茶の間」に面した北の小庭は、侘びた雰囲気の落ち着いた造りとなっている。
いんきょ
老夫婦の建物。1階部分には、内海船で使われていた実際の道具や、船の模型などが展示されている。